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公益財団法人 日本科学協会

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活用者からの声

中国の大学からの声 2009

※原文が日本語の声は、原文を尊重して手を加えず掲載しました。
原文が中国語の声は、原文に忠実に和訳して掲載しました。

日本語原文

大連外国語学院 日本語学院 2年 任艶

美しいめぐり合い

大連外国語学院 日本語学院 2年 任艶

 午後の日差しが窓を通って屋内に明暗の境界を作っています。一列一列の巨大な書架の前を歩き、沢山の言葉が書かれた一冊一冊の本には、立ち去るのを忘れ、足を止め、閲覧して、黙読(時には小さな声にして)してしまいます。読書の雰囲気に満ち溢れる中、明暗の入り交じる中、美しい日本語が構成する世界の中で、小さな喜び、しなやかな心が飛び立ちそうです。
 これは日本語閲覧室で毎回感じることなのですが、美しくて現実離れしているのです。本で満たされた本棚を仰ぎ見て、一つ一つの感動的な書名が瞳をよぎる時、誰が平静を保っていられるでしょう?
 日本語閲覧室の蔵書にずっと向き合っていると、探検したくなるような好奇心が満ちてきます。アリババの宝の洞窟のように、抵抗しがたい吸引力があるのです。何度か入ってみましたが、失望させられたことはありません。初め、その蔵書量の多さと蔵書面積の広さに驚かされました。37万冊を超える日本語の蔵書には、日本科学協会から寄贈された日本語の原文書籍が約25.2万冊含まれています。内容は言語、文化、法律、教育、経済、歴史など多くの分野に及び、百科全書や辞典類もたくさんあります。種類といい量といい一目で見られるものではありません。それから何度か、私はずっと最初の驚きと喜びを胸に、絶えず新しい発見をしています。そこで初めて日本の友人から寄贈された図書に触れたのです。この本は遙か遠くの異郷で他の読書家に熟読され、彼らの素晴らしい願望を伴って海を渡り、私の所へ来たものかもしれません。一冊一冊の本には栄養があり、寄贈されるという運命のため温度もあります。ちょっと持つと暖かさが伝わる温度です。
 日本語のレベルが限られているので、日本語の寄贈図書の魅力を味わい尽くすことはできませんが、限られた読書からでも日本語の美しい風景を体験することができました。寄贈図書を通じて、私は村上春樹、芥川龍之介、夏目漱石、三島由紀夫に触れ始めました。『ノルウェイの森』の整然として洗練された自然な筆致を味わい始めると、まるで一面の明るくてきれいな砂浜を散歩して、遠くの一面の青い水と空を見るような、爽やかでさっぱりとした上品さをふと感じます。『風の歌を聴け』では、生命の真実と尊厳、魂の自由と出口をゆっくりと探しきれないための失望を味わいました。「全ては杳然と去り、何人にも捕まえることはできない」。長い間心の荒れ野でさ迷って、そこで孤独を感じ、進めば哀れみと悲しみを感じます。弱々しい孤独さ、思わせぶりな温情と淡く微かな憂いは、黄昏にたちこめる霧のように、月下の遥か遠い簫のように、広々とした野原のユリの香りのように、行きつ戻りつして心を打ち、ぬぐい去ることができません。日本から来た異国の文化が、私に窓を開いてくれたのです。窓の外には、私がよく知らないそして夢中になる日本の文化があります。私はだんだん友人達を理解し始めました。私たちと同様に勤勉で、努力し、幸せを求める大和民族を。
 言語を専門とする人にとっては、言語の環境は欠かせません。となると日本語の寄贈図書は疑いなく私たちの天国です。ここでは日本語原文の各種書籍、雑誌に触れることができるからです。その場の全てが共同で日本語の世界を築いています。そこで得られるものは言語能力の向上、語彙の充実だけではありません。より重要なのは私たちの隣人―日本を深く理解できることです。そこの人々は問題をどう見ているか、彼らはどういう思考法なのか。一冊一冊の大事な寄贈図書は望遠鏡のようなものです。気をつけて使うと、異国の遙か遠くから来たような人々が実はこんなにも近かったということに気づくことができます。彼らの喜怒哀楽、彼らの私たちと同じ毎日の素朴な生活。ラッピングが違う二粒のキャンディが、剥いてみたら同じような味だったというのに似ています。ある言語がもたらす最も重要なものは、恐らく全く新しい思考法でしょう。一年来の日本に対する理解が、無から有になりました。彼らの礼節、時間意識、真剣さ、他人の立場になる発想、責任感のいずれにも心から敬服します。こうした尊い人品も、これから尽きぬ利益をもたらしてくれるかもしれません。 窓の外の日差しは規律を持って一日の移動を終え、沈む夕陽が書架の上に流れ、日本語閲覧室は、まるで夕日の中の新婦が目もくらむ金色の中で湯浴みをしているかのようです。私もそっと本を閉じて返し、その場を離れます。読み終えたばかりの本の余韻は、豊かで充実したものです。そして、ほぼ毎日、こうした感覚が、日本語閲覧室で一冊一冊の寄贈図書から生じてくるのです。違う学生であっても、根源は同じです。
寄贈図書が私の大学生活に何をもたらしたのか明記することは難しいと思います。その広範さと重厚さゆえ、私はドアの隙間から眺めることしかできないのですが、その中のとても美しい景色に惹きつけられ、触れて感銘を受けたい気持ちになります。私は毎回、日本語閲覧室のめぐり合いを渇望しています。私がすでに深く陶酔しているためです。

大連外国語学院日本語学院4年 馮丹妮

「日本語の寄贈図書と私の大学生活」

大連外国語学院日本語学院4年 馮丹妮

 私は日本語専攻の学生です。日本語の寄贈図書は私にとって、直接日本語と日本という国に触れるには疑いなく最適なものです。現在は四年次に入りましたが、大学での学習の日々を少しずつ思い出すと、日本語の寄贈図書とは切り離すことができないことばかりのような気がします。
 一年次は開発区キャンパスの図書館、ここは初めて日本語図書に触れた場所でした。当時は図書館がとても粗末で、蔵書も多くなく、今では読んでいた日本語の図書が寄贈図書なのかどうか思い出すことができませんし、当時もそういう意識はありませんでした。ですが、当時の感嘆は今なお鮮やかなまま記憶に残っています。全くもって「難解な書物」、いつになったら理解できるのだろう!当時は五十音の暗唱もままなりませんでしたが、心には確かにこれらの本への憧憬が芽生えていました。しかし、それ以来、一年次では日本語の図書を一冊も読みませんでした。一つは開発区キャンパスには実際日本語の原文書籍が少なかったからであり、もう一つは自分の日本語力が不十分であると感じていたからです。読んでも理解できず、借りても枕元に置くだけになっていたと思います。
 二年次には本校に戻りました。本校の図書館は面積こそ広いとは言えないのですが、蔵書は開発区の図書館よりだいぶ豊富でした。私は学校の日本語蔵書コーナーを見るようになりました。しかし、私が興味津々で本を借りて読もうと思っても、いざ棚いっぱいの日本語書籍に向き合うと突然怖気づいてしまい、一冊を取り出して何ページも見ないうちに直ぐに能力不足に気づきました。目で追っていくだけでも、とても苦労しました。この時、言語能力とは、理解力と書籍そのものに対する興味に大いに影響を与えるものであるということを深く悟りました。そして、最後には諦めてしまいました。まだ、その時になっていない。国際一級に合格してから借りに来ようと思った。
 三年次には新キャンパスに移りました。図書館はとても先進的、現代的、快適な施設で、私は初めて新館に入るとすぐ5階の日本語閲覧室へ急ぎました。当時の心境はまず驚きでした。我が校の日本語の蔵書がこんなに豊富なのかと驚き、それから喜びました。これだけ多くの日本語の原書が読めるというだけで純粋に嬉しかったのです。三年次の国際一級に備え、私の日本語力も過去一年間よりかなり向上していました。畏縮することもなくていました。私が日本語の寄贈図書を大量に読み始めたのは、この時からであると言うことができます。そして、この時から、日本語の寄贈図書は、本当の意味で私の学習生活に浸透し始めたということができます。
*日本語の寄贈図書が日本史を理解する助けに
 私は日本語の漫画やアニメがとても好きで、さまざまな漫画やアニメにふれるうち、断続的に日本の歴史を多く知ることが出来ました。多くの作品が日本の戦国時代を題材にしたものだったからです。日々増大する好奇心と知識欲により、日本の歴史を全面的に理解しようと切実に思うようになりました。そのとき図書館を思い出したのです。図書館には日本史関連の蔵書が多く、中でも目を引いたのは全24巻の『堂々日本史』でした。この本はNHK取材班が制作した記録映画の図書版で、歴史上のできごとを手がかりに日本の歴史を説明するものです。簡明で分かりやすく挿絵も豊富で、それぞれのできごとについて日本の有名作家、歴史学者、評論家などに取材した記事もありました。一目惚れしたとも言えるでしょう。この本は学問臭があまりせず初心者向きで、24巻という長さでも、読み出すと倦怠感はありませんでした。
 私は日本の歴史のうち、幕末の新撰組の血なまぐさいあたりに興味を持っています。『堂々日本史』を通して、ついに初めてある程度の理解ができたのです。それから私は引き続きたくさんの日本語の寄贈図書を読みました。『沖田総司』、『燃えよ剣』、『土方歳三』などです。この過程は実際とても面白く、興味がある本を見つけるたびに、長く探していた秘宝を見つけたような喜びを感じました。
 日本語の寄贈図書を読むということは、中国の学生にとって日本の歴史を理解する直接のルートです。日本語を学んだからこそこうした資料を直接閲覧できる機会と能力を得ることができ、遙かな日本の歴史を直接感じ取れるのです。
*日本語の寄贈図書が卒業論文のパートナー
 四年次に入り、直面せざるを得ない一大任務が卒業論文です。学部生が卒業論文を完成させるのは決して簡単なことではありません。学部生の専門知識や研究能力は限られており、参考資料のない情況で卒業論文を完成させるのはほぼ無理です。なのでこの時期はこれら日本語の寄贈図書は私が助けを求める対象となりました。私は日本語専攻なので、卒業論文が日本語関係になるのも必然です。日本語の寄贈図書は、中国の出版社の出している日本語関係の書籍より説得力があります。 日本語の蔵書は文法、文学、言語、歴史、文化といった日本語の各方面にわたっています。量からも質からも学生達が論文を書くニーズを満たしています。蔵書には日本の言語学に関する図書も多く、特に金田一春彦先生の著作の数々は日本語学習者に多くの啓発をもたらし、同時に視野を広げて異なる角度から日本語を認識させてくれます。
 ここでまた言及せざるを得ないのは我が校図書館の定期刊行誌閲覧室です。日本語の寄贈図書ではないかもしれませんが、その中にある既刊日本語雑誌の部分は卒業論文の作成に備える学生にとって見逃せないものです。『国語国文』、『言語生活』、『国語学』、『日本語教育』などの日本語雑誌は貴重な文献資料で、論文には欠かせない参考文献です。
 日本語の寄贈図書は卒業論文の助けになると同時に、卒業論文を完成させるためにはもっと多くの日本語書籍を読む必要があります。この過程はきっと、私の知識面を大いに広げ、日本語レベルと研究能力を高めてくれることでしょう。
 大学生活を振り返ると、これらの日本語の寄贈図書との関係はますます緊密になってきています。図書館へ行くたび、日本語の閲覧室は私が必ず行くところになっています。私はとても幸いなことに日本語ができ、まさにそれを媒介としてこそこれらの貴重な資源を享受できます。直接の文化交流を体験する喜びが、私の大学生活をより豊かなものにしてくれます。日本語専攻の学生として、これら日本語の寄贈図書を見たことがないとしたら、それはきっと莫大な損失です。

大連外国語学院 日本語学院4年 張玲

「源氏物語」を読んで

大連外国語学院 日本語学院4年 張玲

 日本語を学んでいる人ならば、大抵の人は「源氏物語」について聞いたことがあるでしょう。
 高校の頃、国語の先生が世界各国の有名な文学作品について説明してくれたことがあります。そうした作品の中でも、先生が特に詳しく説明してくれたのは、「源氏物語」でした。中国の四大名著の中でも筆頭にあげられる「紅楼夢」に並び評されるほど美しい傑作だと聞きました。それで、私は、この作品に興味を持つようになったのです。
 「紅楼夢」は中国文学の集大成とされる作品の中でも最高峰といえる作品です。それでは、一体どのような作品がこれと並べ評されるのでしょう? その時、私は、「源氏物語」を読んでみようと思い探しましたが、残念なことに見つかりませんでした。
 欧米文学の名著に支配されている中国の高校付近にある小さな書店では、こうした日本の文学作品は結局のところ扱っていなかったのでしょう。 その後、幸いにも私は大連外国語学院で日本語を学ぶ学生生活を始めることとなりました。
 大連外国語学院は日本語学習の長い歴史を持つ高等学府ですから、ここなら、きっと自分の夢を叶えることができるだろうと思いました。
 そこで、私は図書館を訪れました。
初めて図書館へ入った時、そこにある日本語の蔵書量に驚きました。
大連外国語学院は専門性の高い外国語大学で、図書館の所蔵する外国語書籍もおのずと数え切れないほどになります。けれども、それまでは、ここにこれ程多くの日本語の原文書籍があるとは思ってもみませんでした。
 私は、心から喜びを感じました。
楽しさと期待を胸に、私は日本語の原文書籍の通路をそぞろ歩きしました。見上げると書棚いっぱいに並べられた原文書籍に、これからの大学生活に心から期待することができたばかりでなく、遙か彼方の素晴らしい未来への憧れが抑えきれなくなりました。
 あ、あった!ずっと前からの念願だった「源氏物語」が。
ずっしりと重いその本を持って、私は寮に戻り、真剣に読み始めました。
そうか、「源氏物語」の作者は女性だったのか。
そうか、源氏は天皇の息子だったのか。
そうか、源氏は、生母の身分が低かったため、彼が他人に虐げられることを避けるため、父が皇籍を外して源の姓を賜ったのか。
そうか、源氏は容貌が美しく下界に降りた太陽神のようだというので「光るの君」と呼ばれるようになったのか。…
読み終わると、私は暫くうっとりしてしまいました。
疑いなく、これは偉大な作品です。
合計五十四帖、百万字近くに及び、三代、七十余年に亘る物語で、登場人物は四百名を超えます。
 1000年以上も昔の日本で、皇宮の次女が一人で書いたとは想像し難いものでした。 しかし、この女性は宮中の奥深くにいたからこそ、この様々な恋愛の形を知り抜くことができたのかもしれません。
この作品には宮廷特有の華麗さと豪勢さがあり、貴族文学が尊重する古典の雅びと美しい悲哀もあるのです。
道理で多くの人がこの作品を選び、「紅楼夢」と並び評した訳です。
しかし、私は、それとも違うと思っています。
「紅楼夢」の社会的意義がより深いということは、否定できません。 「紅楼夢」は、曹雪芹が広大な人の世で世間の冷たさを感嘆しているものであるとすると、「源氏物語」の方は、幻滅の僅かばかり前に酔生夢死を追い求めているものということになります。
目先の快楽に溺れているのです。
それは賢いとは言えませんが、憧れずにはいられないものがあります。
たとえ鏡に映った花、水に映った月のように実体のないもののような平安朝であっても、源氏のように心に思うものだけを追求して生きていく人が何人いたことでしょう?
(中略)
 四方に輝きを放つ「源氏物語」の影には、さらに幾百幾千の女性の悲劇があります。
「源氏物語」の中では、男性の悲劇が悲劇なのであり、女性の悲劇は悲劇のうちに入らないのかもしれません。しかし、「源氏物語」の主人公は男性であり、そのそばには無数の女性がいます。
こうした様々な女性たちがいたからこそ、傑出して洗練された光の君となるのでしょう。
彼女たちは光源氏をめぐって、自分の変転浮沈を演繹しています。
「源氏物語」の女性たちの運命は、いずれも不幸だったと言えます。
それぞれの女性の人生は、悲劇だったと言えるでしょう。
あるいは、「源氏物語」を悲劇だと思わない人は、無数の女性の悲劇に心が麻痺してしまっているのかもしれません。
幾千幾万の悲劇が有ったということは、悲劇が無かったというに等しいでしょうか?
そうかもしれません。
でも、その時代の悲哀、しかもその時代最大の悲劇であるのかもしれません。
あるいは、作者が私に伝えたいのは、ため息一つなのかもしれません。

大連外国語学院 日本語学院2年 劉芳

「ノルウェイの森」を読んで

大連外国語学院 日本語学院2年 劉芳

 今や新人類のバイブルと呼ばれる『ノルウェイの森』も、思春期のひと時の恋心に過ぎず、その中には甘さ、苦さ、困惑、そして何処からともなく伝ってくる物寂しさがあるだけです。よく考えれば、誰も、感動的とはいえマンネリ化した雰囲気から逃れることはできません。しかし、そこにはやはり私を感動させるものがあります。 村上春樹はストーリーテリングに長けた作家ではないと言うべきでしょう。彼の小説を総合的に見ると、小説の大筋はまとまりに欠け、喜怒哀楽に富んだ人物描写もなく、盛り上がるようなエピソードもありません。そのため、彼の作品を好まず、読み続けられないという人が多くいます。しかし、逆に考えると、流行する要素に欠けたこの作品が日本どころか中国でまで流行しているのですから、読むに値する価値は並外れているということになります。
 村上春樹は、60年代を生きてきた人間として、その時代の理由なき反抗、表現できない物寂しさを線描にも似た手法で描き出すことにより、読者全ての眼鏡を打ち壊したのです。そもそも小説とは、こういう書き方もできるのだ!と。彼は、「ユリシーズ」や「失われた時を求めて」のように新しいスタイルを創り出したわけでは決してありませんし、根本的には彼の描写も日本の文学界を貫く水墨画のような形式を逸脱している訳ではありません。彼はただリアルに若者の態度を再現しただけなのです。大まかな心理描写や対話を用い、プロットを用いずに描いたのです。
 「ノルウェイの森」の内容はとてもシンプルです。主人公ワタナベの親友が事故死し、彼は、その親友の彼女―直子を好きになります。直子は鬱のため入院しますが、その間、ワタナベは直子の面倒を見る鈴子とも、更に緑子という少女とも微妙な関係を持っています。最後に直子が亡くなり、ワタナベは親友の死の影を打ち破り、緑子と新しい生活を始めるというものです。
 私は、言葉の美しさゆえ、村上作品が好きなのです。結局、文学は言葉の芸術です。言葉の芸術性、つまり、原文の美しさ無くして、いわゆる文学ではないのです。
(中略)
 言葉の独自性は、文学の最も尊ぶべき品格です。また文章の独自性は、原文つまり文章運びの独自性とコピーの不可能さで決まるところが大きくなります。はっきり言うと、つまり「これ」であって「それ」ではないのです。さらに言えばと、日本語は中国語と比べると全般的に「これ」であって「それ」でない独自性があります。くどくどとして間延びしており、中国語訳を見ただけでもオリジナルは日本語であって英語やロシア語から翻訳した小説ではないことが一目でわかります。まさにこのため、村上は日本語そのものに付随する「各種の不純物を洗い流し…一糸まとわぬ姿にする」決心をしたのでしょう。この「一糸まとわぬ姿」という表現は聞く者を驚かせ、色気すら感じさせるものですが、実はそれこそ粘着質でだらだらの反意語―美しく、整然として、洗練されて、自然で、爽やかで、上品で、すっきりしていて、精巧な表現なのです。村上作品を読むと、美しい砂浜を散歩しているような感じがします。遠くに青い海と空を望むように、爽快なのです!彼の作品を読むことは一種の快楽、生活のちょっとした隙間を埋めてくれる快楽なのです。『ノルウェイの森』の主人公が、フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』 を読んだ感想を引用すると、「手当たり次第にページをめくって少しでも読めばと、失望することはなかった。興味を覚えないページはなかった。どんな言葉でも表現できない程の傑作だ!」こうした読後感は、言葉の美しさがあってこそ得られるものだと言えるでしょう。繊細な言葉の美しさを通してしか得られるものではありません。
 孤独は愛や死と同じく、文学者、特に詩人にとって、永遠のテーマです。村上春樹が描いたのはどのような孤独でしょう?村上が描く孤独とは、誰もが持つ孤独なのです。読めば自分のことのように感じられるのは、どこにでもある普通の人の孤独だからです。そして、「いい感覚」を読者に与えるのは、優雅で美しい孤独だからです。孤独に耐えることこそが寂しい孤独であり、孤独を管理し、孤独を楽しみ、孤独を見守り、孤独に帰るに越したことはない、という言葉があります。これもいわゆる小金持ちが最も好む典型的なシーン、雰囲気、情緒です 。ですが、村上の孤独は小市民の安っぽい感傷主義から出ていますが、個々人の心のさざ波に対して繰り返す咀嚼にとどまるものでもありません。人間の本質、生命の本質、そして社会体制、自らの境遇に対する批判的な注視と深層からの問いかけに由来するものがより強いのです。こうした注視と問いかけは、絶えず追憶、逃亡、探求を促します。弱々しい孤独、脈々とした温情、淡く微かな憂いは、村上作品に極めて特徴的なものであると言えます。黄昏時の夜霧のように、月下の遥か遠い簫の音のように、広い野に咲くユリの香りのように、まとわりついて離れることはありません。ここでは、孤独は慰めを必要とせず、孤独そのものが慰めなのです。
 「完全無欠な文章が存在しないのは、徹頭徹尾の絶望が存在しないのと同じ」、「昼の光が、どうして夜の深さを知るだろう」、「宇宙の複雑性と比べると、我々の世界は雀の脳髄に過ぎない」。私は全力を尽くして、お気に入りの村上春樹を存分に鑑賞したいと思います。

大連外国語学院 日本語学院2年 蓋暁楽

私と日本語寄贈図書
―私達の愛憎と憂い―

大連外国語学院 日本語学院2年 蓋暁楽

1.出会い 臆病者だった私
 それは麗らかな季節で、日差しの中を落ち葉が舞っていました。静謐な長い廊下をゆっくりと行くと、窓まで届く大きな窓のガラスで屈折した光が少し幻想的でした。その時初めて出会ったのです。海の向こうから来た君は、桜色の空気をまとい、弱々しくも魅惑に満ちていました。
 その時の私は、ただ遥か遠くから君を眺めて君を思っているだけでした。子供が笑う時には、君も他愛なく笑い、詩人が愛する時には、君も雄大になりました。川端康成が遙かに望んだ雪国は、君の故郷なのでしょうか?君が誰で、どこから来たのか知りたいと思いました。どうすれば君を幸せにすることができるのか、君は何が好きなのか知りたいと思いました。君を愛してもいいかな?と聞きたいとさえ思いました。 君に出会うまで、私は一目惚れというものを知りませんでした。でも、その時の私は、臆病者だったのです。こんなちっぽけな私ですから、君とコミュニケーションすることもできませんでした。私は本当に君を好きなのでしょうか?そして、その日、君は知らないでしょうけど、ある少女は、秋の日差しの下で君と恋に落ちたのです。でも、思いを伝えることはできませんでした。
2.追想 苦痛ばかり
 五階へ行ってこっそり君に会いたいと思うことが何日もありました。ちょっとだけのカナが読めるようになった頃、勇気を出せば片言で話すことができるようになった時、衝動的に告白しようと思うことが何日もありました。
 人は恋に落ちると臆病になると誰かが言っていましたが、片思いはいっそう哀れみを誘います。もし、応えてくれなかったら、愛も恨みになってしまうかもしれません。
 秋が幕を下ろし、冬が童話を連れてやってきました。記憶の中にあるその冬は、涙を流す程の痛みに溢れていました。君のため、私は秘かに涙をこぼしました。距離を縮めようと思えば思う程、自分の能力の拙さに気付いてしまうのでした。どんどん自信をつけていく他人を横目に、私はびくびくとしていました。君を忘れてしまいまおうか、それとも君から離れてしまおうか。なぜ、私はこんなに狼狽しているの?愛さなければ、こんな思いをしなくて済むものなの?それなら、もう近づかない、もう見ない、もう思わない、もう愛しも恨みもしない。
 初恋の君、桜の舞い散る中、花びらを受けとめた君。私にはもう愛する力がないの、愛することは痛みなの、泣いてしまうし、不快になってしまうだけ。
親愛なる君よ、さようなら!
3.思い出 愛は微かな歌
 君のことを思わなくなってからの日々は、面白いことは余り多くありませんでした。君と私は一生の絆で結ばれていると知ったからです。捨てることも、獲得することもできません。この付きまとう苦しみを君が理解することは不可能でしょう。
 冬以降、私は2度と五階を訪れたことはありません。床まで届く大きな窓がなく、日差しの後ろでその美しい顔立ちを見ることもなく、触れる勇気もないあの目元も、君から漂ううっとりとした香りもありません。君に関わる全てを忘れたいとだけ思いました。それで、それからはいつもVCDプレーヤーの前に座り、酔った人のように惨めな状態になっていました。時にはひっきりなしに何冊もの小説を読でみたりもしましたが、心から笑ったり震撼したりすることはありませんでした。君と関わる全てを持ち出さなかっただけなのに。そうするうちに、人生で21回目の春が過ぎました。君への恋心はなくなっていました。
 私は大きな旅行鞄を背負って、母が住む、生まれ育った小さな街へ帰りました。青々とした山、川、空、純粋な雲、そして全てを包み込む母の笑顔。私は、君を愛したこと、愛ゆえに苦しみ、自信をなくし、自分を失ったことを母に告げました。そして、どうすればよいのかを母に尋ねました。私は、迷子のように母の懐で泣きました。母は、私を抱え、頭を撫でながら言いました。全ては良くなっていくもので、思い出は微かな歌になり、愛は微かな幸せになるのだと。とりたてて偉大にならなくても、立派にならなくてもよいと。愛はゆっくりと積み重ねていくもの、愛する心さえあればよいのだと。ここんなふうになの?微かな歌。
 私は追憶ということを学びました。初めて会った時、海の向こうから来た君は、桜色の空気を身にまとっていました。秋の幻想的な日差しを通して、考え事をしている君の姿が見えました。ある少女の単純で透き通った初恋はこうして始まったのです。君に近づくため、いつか君と雪国の遙かさや光源氏の悲哀、菊と刀、春の孤独を語るため、かつては努力をしました。君から遠ざかるほど、自分を見失っていきました。私は苦痛に耐えきれず、このように堕落してしまったのです。結局、君は私に何をしたのでしょう。波瀾に富んでいて心の奥底にまで届く苦痛、そして期待という幸福とは、何だったのでしょう。
 その夏、私は、18歳の頃と同じように自転車に乗り、小さな街のあちこちで笑顔を振りまいていました。君を少しずつ思い出していくうち、そもそも私の要求が余りに多すぎて無理だったのだということに、ふと気が付いたのです。人はどうすれば幸せになれるのでしょう?君を愛したときの私は盲目で臆病でした。離れてからやっと、愛が微かな淡い幸せであったことに気付きました。これからどういう顔をして君に会えばいいのか、もう分かったような気がします。
4.再会 微笑んで抱擁
 成長は旅に似ています。リュックを背負って人生の道を歩き続けるのです。母に別れを告げ、私は帰路につきました。人生も愛情も逃れられるものではないし、結果は重要ではないので、私はただ君に対面しました。
 また私が深く愛する季節になって、空気には秋の香りが漂ってきました。微かな成熟と収穫の香りです。また五階に行くと、長い陽光が長い廊下にこぼれていました。私は手を伸ばし、そっと君を引き出して表紙を開いてみました。そして、君の面影を丁寧に辿りました。知っているかどうかなど、もう重要ではなくなっていました。重要なのは、私がどう君を愛する勇気を持つかを知ったことです。淡い愛、淡い幸せは、君への愛から来るものです。

上海海事大学外国語学院 日本語クラス 陳婷

上海海事大学外国語学院 日本語クラス 陳婷

 この一年間、私は上海海事大学図書館の文献資源建設部で日本科学協会の寄贈図書を選別する業務に協力してきました。
 日本科学協会はこれまでに、本学へ数千単位の日本語、英語原文図書を提供してきてくださいました。これらの図書は文学、歴史、哲学、数学、物理学、化学などの基礎学科の文献資料を含むだけでなく、マーケティング、電子情報技術、アニメデザインといった専門の研究成果をもカバーしています。
 日本科学協会からは広辞苑、日中辞書、日本語慣用句辞典といった実用書も頂きました。本学日本語学部の学生は単語、フレーズ、文型の理解において問題に行き当たるとすぐこうした辞典類を参照し、また原文図書により基礎日本語の学習における疑問が解決できています。また、夏目漱石作品集、井上靖作品集、日本古典文学選集といった日本の名著原文図書もご寄贈いただき、日本語学部の学生が日本文学の言語や構造における芸術をよりよく理解できるようになり、専門科目の関連論文が作成しやすくなりました。
 壮大な建築物は梁を共に挙げ、小川のせせらぎは集まって大河となります。寄贈図書により私たちの日本語学習を支援していただき、日本科学協会に感謝いたします。

上海交通大学図書館 館員陳幼華

図書寄贈と新館との縁

上海交通大学図書館 館員陳幼華

 2008年9月、上海交通大学の図書館で新館が正式オープンしました。交通大学という百余年の歴史を持つ有名大学に、またひとつ美観が加わったのです。斬新なレイアウトと設計が、図書館の全く新しいサービス理念を体現しています。図書館は従来の単に図書を保管する場所から変わりました。合理的なレイアウト、雅で快適な環境、アカデミックな雰囲気、先進的インフラ、豊かな情報リソースを備えた新型図書館に変化を遂げたのです。
 当館はかねてより日本からの寄贈図書をとても重視してきました。専門コーナーに陳列し、合わせて日本の文化や科学技術展示スペースを作れればと願っています。以前は包玉剛図書館の東3階に寄贈図書の閲覧室を置き、日本財団と日本科学協会に贈っていただいた日本の書籍や雑誌を収蔵していましたが、新館が落成してからは、新館で最も特色ある風格の装飾が施され閑静な環境のCエリア寄贈図書閲覧室とAエリア実用書閲覧室のガラスコーナーに置いています。寄贈図書閲覧室では中国と西洋の両方が備わった装飾方式を採用しています。欧風アンティーク家具、明代から清代の中国式家具、上海旧市街の石窟扉、深紅のチャイニーズノットがそれぞれのエリアに配置され、寄贈図書閲覧室の環境をとても高雅なものにしています。読者はここで海外の友人から贈られた図書に触れ、とても心地よく満足しています。
 上海交通大学では初めて、読者個々人のニーズに着目し、読者の相互交流を提唱したり、読者の参加を奨励したりして、共同研究をサポートし、新発想IC2サービスを取り入れました。社会科学、電子工学、コンピュータとその応用、通信、環境技術、材料科学、および90年代に出版された経済、医学などの文系、理系、管理系、工学系分野で、日本語、英語、フランス語、イタリア語、スペイン語などを含む日本からの寄贈図書は本学の読者に貴重で豊富な文献資源となっています。中でも『日本造船学会論文集』、『日本造船学会誌』は当館で欠番だったものを保管してくれました。暖かく優雅な新館の閲覧室と装丁の精致な寄贈図書は互いに光り映え、読者(特に外国語専攻の教員や学生)に深く受け入れられており、いい形で利用されています。
 大切な日本からの寄贈図書は当館の蔵書量をふやすだけでなく、読者が日本を理解し、中日両国の文化交流を強化するために重要な貢献をしてくれているのです。

大連海事大学図書館

1.寄贈図書の管理 ・到着した寄贈図書は厳格に分類して目録作成し、それぞれ外国語学院資料室、教師閲覧室、学生閲覧室に分けて収蔵し、多くの教員や学生が閲覧できるようにしている。
・編集した図書目録は図書館のホームページに掲示し、推薦図書としている。同時に、多くの日本語系学習者が広く利用できるように各日本語教師へ告知している。
・寄贈図書の受領以来、図書館員は日本語の教員や学生の代表と密に交流し、図書のニーズと利用状況を把握している。
・寄贈図書の一部は既に利用者に借出されており、沢山の日本語の原文書籍に彼らはとても興奮しています
2.寄贈図書活用者の感想.
・外国語学院、日本語学科の学生です。日本からの寄贈図書を読むと、自分の視野を広げる大きな助けとなり、自分にとって非常に役立っています。中でも多くの本が私たちの専攻にとても役立っています。日本語の原文書籍から日本人が経済、法律の各面における立場や観点を学ぶことができます。図書を寄贈していただき感謝します。より多くの本が頂けるよう謹んでお願い申し上げます。
・日本の寄贈図書にある日本文学史を読んで、多くのものを得ました。寄贈図書は視野を広げ、知識を増やしてくれるだけでなく、中日文学の異同を広く連想させてくれます。
・日本文学は中国文学ほど長い歴史を持ちませんが、大陸文化の影響を受けると同時に独創的な特色も形成しており、中国文学とは本質的な違いを持ち、独立した価値体系を成しています。文学とは何か?日本文学とは?これらの本を読んで日本文学を理解すると同時に、思わず思索を進めてしまいます。中国文学とは?中国文学に対する誇りと再考が、読んでから最大の収穫となりました。
3.寄贈図書の意義
「教育・科学研究図書の有効利用」事業は、関連学科が広範で内容が豊富な図書が大学の教育と科学研究において大きな効力を発揮しており、また中国の大学生が日本の社会、歴史および文化を理解するための新しい窓口を提供しています。図書寄贈事業が充実することは、我が国の大学図書館における経費と資源の不足問題を解決し、我が国の読者により多種の、より高品質の日本語原文書籍を提供する助けとなります。 大連海事大学はこの事業の受益者の一つとして、2005年から日本科学協会の寄贈図書を受け入れ始め、2009年4月までに我が校が受け入れた日本語寄贈図書は合計78285冊です。この寄贈図書は我が校の日本語文献資源を充実させ、日本語教育文献の需要を保障し、日本語系学生の学習意欲に積極的な作用をもたらしている。

大連医科大学図書館

日本科学協会から寄贈図書の「芸術関係図書展」に関する報道

 4月23日、「世界読書デー」、そして大連医科大学図書館の正式開館の当日、日本科学協会からの寄贈図書の「芸術関係図書展」が、図書館1階のOPAC検索エリアで正式に開催され、図書館の王虹菲館長が開幕の挨拶を行った。
 日本科学協会は、1924年に日本の文部科学省の正式認可により成立した財団法人である。1999年より日本科学協会は「教育・研究図書有効活用」プロジェクトを積極的に展開し始め、日本の出版社、図書館、企業、研究機関などが提供した図書を海外の大学や研究機関へ寄贈することで、教育および学術研究に貢献し、文化交流と資源の共有を促進している。現在までに我が校が寄贈を受けた図書は3万冊余り、内容は言語、文学、経済、法律、教育、歴史など多くの分野に亘っている。
 今回の展覧会で主に展示しているのは芸術関係の図書で、絵画芸術、風光地理、民俗人文、観光景勝地、歴史図像などの分野が含まれる。濃厚な芸術の息吹、精巧で美しい絵画や図像には、無数の読者が足を止めて見入っていた。北海道の七色の花畑から織田信長の肖像画、富士山山頂の真っ白な雪から東京市街の爛漫に咲く桜まで。次々に目に入ってくる芸術の佳作を観覧する多くの学生は、東洋芸術の殿堂に身を置いたような気分に浸ることができ、そうした理由により参観者が絶え間なく訪れ、時を忘れて鑑賞していた。
 芸術に国境はなく、文化は更に民族をも超越する。日本の人文歴史、民俗は一幅一幅の精巧で美しい図画を通じて、深く一人一人の心に刻まれた。多くの読者は展覧会を参観した後、日本文化に対して強い興味を示し、日本文化をさらに理解したいという願望を示していた。こうしたことからも、この展覧会は我々主催者の初志をある程度達成したということができる。つまり、今回の展覧会を通して、両国間の文化理解を強め、中国の学生の日本文化に対する興味を喚起するということである。同時に、芸術を愛する多くの人々の日本絵画に対する探求心や学習に対するニーズを満足させ、展覧会イベントは全体として大きな効果と影響を生み出すことができた。

東北林業大学図書館 許雪梅

 私は東北林業大学図書館で、寄贈図書の選定、受入、検収、目録作成を担当しております。本学は経費が限られており、日本語の原書は購入するのが困難でしたが、日本語学習者や研究者には最も必要なものでした。図書館職員として読者の要求に応えることができず心苦しかったのですが、2005年に日本科学協会から図書を寄贈いただけるようになり、状況は好転しました。現在までに7万冊余りの寄贈図書を頂いており、分野や学科は多岐に亘り、私達には非常に貴重なものです。私自身も日本語を学習しております。かつてはそもそも原文書籍に触れることができず、日本語の学習といえば、教師に従って教科書と文法を学ぶというのが全てでした。これだけ多くの原文書籍が読めるようになった現在の在校生がとても羨ましく、彼らの喜ぶ様子を見ると私まで心から嬉しくなります。
 図書を寄贈してくれた日本の出版社、図書館、大学、企業、研究機関の無償の寄贈に大変感謝します。学生や教員達へ無償でご寄贈いただいた図書類は、日本語学習、日本の科学技術、歴史文化、政治経済、文学芸術、地理社会と豊かでかけがえのない資料となっております。

遼寧対外経貿学院 図書館 王洪峰

遼寧対外経貿学院 図書館 王洪峰

 私は、遼寧対外経貿学院図書館で図書の管理をしており、寄贈図書の目録作成する業務に携わりました。業務中には、お隣の友好国である日本から来たほぼ全ての図書に触れたと思います。これらの書籍は質的も内容的にも収蔵価値がとても高く、これらのために当館では専用の日本語図書閲覧室を設けました。教員や学生達にたいへん喜ばれております!我が校は設立からまもなく、図書資源も豊富ではありません。特に、外国語の原文図書は不足しており、日本から寄贈いただいた図書は無から有への変化を当館の書庫にもたらし、蔵書の質を飛躍的に向上させてくれました。また、これらの図書には各分野の知識が含まれ、政治、経済、文学、科学、体育など各レベルに及んでおり、本学学生の文化知識を非常に豊かなものにして、学生達の日本理解を深め、日本語学習意欲を効果的に高めてくれます。

遼寧師範大学図書館 劉美麗

ご助力ありがとうございます!

 遼寧師範大学の図書館はこの数年、多くの日本語原文書籍を導入しました。本当に助かっています。
 私は図書館に勤め、読者の問い合わせ回答を業務としております。読者からはよく、図書館では日本語書籍を購入することができないのと質問されました。しかし、図書館の財力には限りがあります。私たちは本を眺めため息をつくばかりでした。日本から寄贈いただいた図書は読者にとても歓迎されております。現在はとても役立っているとの声が読者から届いております。至宝を手に入れたかのように、読者はいつも本を慕って図書館に通って来ます。
 私は日本語が分かりませんが、日本語にもいくらか漢字が含まれているため、図書の概要は理解できます。精巧で美しい画集がたくさん見られることは喜びです。また、「往生伝法華験記」という本も非常に気に入っております。このような書籍をお贈りいただき本当にありがとうございます。中に中国語で書かれた段落もあるのです。まさに私でも読めます。また私にはとても必要な図書でもあります。とても感謝します!本は無上の宝、力の源です。

牡丹江医学院図書館 収集部 孫雅欣

 私達は、かねてより貴会の図書寄贈に関する厳格で入念な仕事に深く感銘を受けております。貴会のご担当者は本院の対応者と何度もコミュニケーションや協調を図られ、本院の教員および学生に適した文献を贈与してくださいました。これらの文献は本院の学生、教員、医師および研究者それぞれから好評を得ております。
 優れた本を多く読むことは心を慰め、精神の窓を開いて生活を彩り豊かなものにしてくれます。貴会が本院に寄贈された日本語の文献は、一面において本院図書館の蔵書資源を充実させ、多くの読者がこうした貴重な文献資源を利用できるようにしてくれました。他方に置いては、これも重要な側面ですが、読者が関連日本語文献の利用を通じてオリジナルな日本語資料に接触できることで、研究者の資料が充実し、読者の視野が広がり、学生の日本語水準が向上しました。読者の生活が豊かになるといった様々な面で利益を享受しております。
 こうした日本語文献の効用を十分に発揮させ、その利用率を高めるため、当館では以下の三点において努力をしております。
1.宣伝パンフレットを作成し、学科の館員により学院の各学部や医院で配布し、日本語文献についての情報を宣伝し説明している。
2.図書館のウェブサイト上で新書情報を提供し、新着の日本語文献について知らせることで、タイムリーに蔵書の動向を理解しやすくしている。
3.読者にリアルタイム相談を提供しています。利用者が館内で問題を見つけた際、図書館員に問い合わせ疑問を解決できるというもので、利用者は館外でもネットの問い合わせフォーム、QQ、Eメール、電話などの方法で図書館員に問い合わせすることができ、十分な回答を得ることができる。
 当館も絶えず努力を続けることにより、より多くの利用者が当館の日本語文献を十分に利用できるようになるものと確信しております。

大連外国語学院日本語学院4年 李清揚

本から教えられたこと

大連外国語学院日本語学院4年 李清揚

 知らず知らずのうちに大学生活の四年目を迎えることになりました。時々、時間の早さを嘆いたことがある。新しい後輩の顔がどんどん増えていく。「先輩」と呼ばれる度に自分が年を取っているのかなぁと感じさせられる。日本語の勉強も三年ぐらいになった。日本語の本も何とか読めるようになった。
 本を読み終わってから感想文を書くことになっている。日記を開いて幼稚な筆跡も日々、経つにつれてだんだん上達してきた。少しでも自分に変化があるべきではないかと思う。足跡も日記の中にきちんと書いておいた。読んでみると昔の記憶がおもちゃ箱をひっくり返したかのように頭の中にこだまする。「やっぱりそうだね」と発見した。日本語の本を読むと共に日本の社会、文化、習慣について少しずつ分かってきた。日本の文化が分かれば分かるほど日本語がもっと好きになれる。今の私は日本語が好きというより、むしろ深く愛していると言う方が正しい表現である。
 小さな頃から、哲学について非常に興味がある。世界はいったい矛盾からどうやってなっているのか。もともとは矛盾なのに、どのように折衷して融合させるのか? 日本語の本をきっかけとして、吸収文化と言われる日本文化に感心した。なぜかと言うと、日本文化と民族性格の中で柔らかさと剛毅、二つの特徴が同時に存在していることがわかったからである。異質的なもので矛盾の存在なのに日本は曖昧さを使って折衷して存在させることができる。
 たとえば、日本文化の中で細やかで自然の美を求める生け花あるいは心の静けさを求める茶道もあれば、相撲や歌舞伎などの自然の美に対して変形の美もある。また、禅宗の忍耐もあれば、武士道の自殺の剛毅や残酷もある。日本人は始終この二つの対立の世界に通っている。普通のことを一般的な程度を超えて発揮して、抜群のことを平気で対処ことができる。日本人は熱情であっても冷静である、自信があっても謙虚である、高尚であっても恥知らず。
 もう一つ具体的な例をあげてみましょう。日本人の場合、「謝罪」と「感謝」という異なる状況に際しても「すみません」という言葉が使われることがある。なぜ日本人が親切な行為に対し単純に感謝するのがだめだと思っているのか?「親切な行為をすることが、その行為の主にとって負担となっただろう」と想像して詫びなければならないわけである。詫びないと、相手の好意を失いはしないかと恐れるからである。したがって、相手の好意を失いたくないので、「すみません」という言葉を頻発すると考えられるのである。
 そして、本を通じて日本人の自然への順応も分かるようになった。それにたいして非常に共感を覚えられた。日本は農耕文化圏に属している。天気の変化に大きく左右される。さらに地震が多いことから、自然を対立的に考えるのではなく、自然と融和し、自然にしたがって生きるという考えである、つまり、自然に対する順応性である。自然と闘って征服することに対して、自然を習い、自然と融和して生活を楽しむ。
 戦うことと順応することどっちが幸せになれるかと聞くと、答えは後者であると思わずにはいられない。実はただ自然に対するだけではなく、人生に対するこのような考えを持つべきである。時々順応すること、戦うことの放棄することを身に付ければもっと幸せになれるかもしれない。つまり、時には幸せを勝ち取った方式をどうやって放棄するかを学ぶことでどうにもならない人生を送ったらいいかが分かる。ただひたすらに自分のものではないものを負い続けるのは、執着ではなく愚かなことと言える。高校の時、そのような考え方が分からなかった私は、もう疲れているのにもかかわらず、ずっと勉強していた。ついに病気になったこともある。今考えてみたら、その時は本当に馬鹿みたいに頑張りすぎた。結局、私は何も手に入れることができなかった。もしその時は自分の心に順応していたら、もう一つの結果になったかもしれない。今はやっとわかった。日本語の本のおかげで。
 今から思うと本当に日本語を勉強したらよかった、日本語の本を読めばよかった、日本語を愛している。

大連外国語学院 日本語学院 4年 杜芝林

図書館の少年

大連外国語学院 日本語学院 4年 杜芝林

 日曜日、午後三時。冬の太陽はもう元気なさそうに西に傾いています。日当たりの机に向いて、白いセーターを着た少年が高村光太郎の詩集を読んでいます。「僕の前に道はない、僕の後ろに道ができた。」これを読んだら、少年の顔になにかを思いついた表情が浮かんできました。
 「あ、そうか。そうだったのか。魯迅ですよ。元々この世に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になる」。少年は魯迅の小説の「故郷」を思い出して嬉しそうに軽く呟きました。こんな所でも、日本と中国ともつながっているのか、と。
 少年は農村出身です。大学に入って日本語を勉強し始める前に、一衣帯水とよく言われる日本について、戦争以外のことは何も分かりませんでした。しかし、日本の友人や会社が寄付された本が、あのすべてを変えました。友達の少ない彼は、日本語の本を仲間として、暇さえあれば図書館に入り込んでいます。時には、「雪国」で島村と駒子との対話を聞きながら、日本美を追及する川端のあとを辿っています。時には、石川啄木の病症に寄り、「一握の砂」を読んでもらっています。「命なき悲しい砂よさらさら握ると指の間より落ちる 」時には、賢治の世界で、ぴょんぴょんと跳ねるウサギとかっこいい猫大将を訪ね、そして語り合い、勉強のストレスを晴らしています。元々日本に無関心な彼は、だんだん日本が好きになってきました。そして文学だけではなく、茶道、アニメーションへの興味も涌いてきました。
 少年にとって、日本語の本は窓です。彼は扉を開いて、好奇いっぱい目で日本のことを望んでいます。いいえ、ちょっと待ってください。そういうより、日本からの仲間たちにそこのことを語ってもらっている、といったほうがいいかもしれません。
 今、少年はもう四年生です。彼が大人らしくなってきて、青臭さも無くしました。けれども、彼の仲間たちへの気持ちは変わりません。そして彼の仲間たちも彼を伴い、開発区から旅顺の新しいキャンパスへやってきました。ここでは、少年は自分の仲間を後輩たちに紹介しています。
 少年は図書館の本を大切にして、感謝しています。何で分かるかというと、彼は本を読む前に、必ず手をきれいに洗っておいています。ここまで読んだら、きっとお聞きになりたいでしょう。「何であの少年のことをこんなによく知っているか」と。ですから、私はあの少年です。

延辺大学 法学部法学研究科 副教授 厳海玉

 私は延辺大学法学部法学研究科で日本憲法を教えている副教授厳海玉と申します。
 さて、私は貴協会から頂戴いた図書資料の中で、本人の研究に有益な資料をたくさん見つかることが出来て、本当に助かりました。貴協会のお陰さまで韓国学術振興財団のプロジェクトー「日中朝鮮人(族)の国籍における地位の比較研究」の完成に大きく役立ちましたので、ここに記して深く感謝の意を示します。特に貴協会から頂戴いた図書資料は法律のみならず歴史、経済、政治、文化などの専門分野まで関わっていて、私は勿論、延辺大学の人文社会学の研究者の研究に本格的な支持を与えてくれました。私たちは貴協会の厚意に厚く心からお礼を申しあげます。今後とも、貴協会からのご協力を心より願っております。なにとぞ、宜しくお願い致します。

黒龍江東方学院 日本語学部2年  金珉慧

 黒龍江東方学院日本語学部の二年生でございます。大学に入学して以来、よく図書館から日本語の本を借りてきて、読んでいます。その中の印からも、先生の紹介によっても、日本からお贈りいただいたものだと分かりまして、いつも心から感謝しております。私も友達も勉強の中で、大いに活用させていただこうと思っています。本当にありがとうございました。
 日本語の本といえば、中国でも最近はいろいろ出回るようになって来ましたが、やっぱり日本で出版されたものを読むのが好きなんです。日本語専門の私たちにとって、とても役に立ちます。

黒龍江東方学院日本語科三年 李吉順

黒龍江東方学院日本語科三年 李吉順

 ご寄贈ありがとうございました。本当に助かりました。お蔭様で大学生活を充実に過ごすことができました。
 一年生の時、初めて図書館の外国原文閲覧室に入った私がとてもびっくりしたのはわが校には外国語の本がこんなにたくさんあるとは思わなかったからです。目の前に広がる本棚を見ながら、ただすごいすごいと驚くばかりでした。あまりの膨大さで自分が急に小さくなってしまった気がしました。あの時の胸騒ぎは今でも忘れられません。
 「卒業するまでに、ここの本を制覇しよう」という野望で通いはじめましたが、その一冊一冊を読み終わってから溢れてきた満足感で、いつの間にかすっかりと読書に夢中になってきました。
 この間、学校の授業で夏目漱石の「こころ」を勉強しました。その前読んだ夏目漱石の平生とモノクロの写真を思い浮かべながら先生の講義を聞くのは楽しかったです。
 私は日本へ行ったことはありませんが、いろんな文章や写真を通じて、既に数えきれないほどすばらしい日本の旅を味わったと思います。頭の中でばらばらだった日本のイメージがだんだんまとめられてきて、ちょっとした日本通になった気分です。
 今は卒業と就職に備えて、論文の資料探しをしたり、ビジネス関係の本を読んだりしています。本をたくさん読んだことが私の自信の源と言っても過言ではないと思います。卒業後、学校の本がもう読めなくなくのが非常に残念だと思います。

黒龍江東方学院 図書館 館員 孫麗媛

 私は黒龍江東方学院図書館の書類整理を担当するもので、孫と申します。ここで私は当方及びわが校を代表いたしまして、長年皆様から図書を寄贈していただいたことを厚くお礼を申し上げます。
 わが校の発展によって、図書館にも大きな変化をもたらしました。それと同時に、書籍に対しての需要も急速に増加しています。そのたび、貴会から日本語の図書を多く寄贈していただいたのはわが校にとって単に図書数の増加だけでなく、我が校の学生の勉強にもたいへん役に立つのです。図書館担当の一人として、館内会議で私はいつも館長をはじめの皆は貴会との交流を大切にしていることを身をもって感じています。閲覧室でも私はもっと近くでこの本の重要性を実感したのです。
 したがって、貴会がわが館、わが校及び中国の大学教育の支持に再び感謝の意を表したいと思います。どうか今後ともよろしくお願い申し上げます。

黒龍江学院日本語学部 李方媛

黒龍江学院日本語学部 李方媛

 わが校は日本科学協会からこんなにたくさんの本をいただきまして、本当に心から感謝の意を表したいと思います。
 本は私たちにとって、とても重要なもので、その中からいろいろな知識を身につけることができるからです。
 そして、日本語の本は日本語科の学生にっとって最も重要なものだと思います。学生たちは日本の風俗、習慣や文化などを習うことができます。学生たちははじめて図書館にある日本語の本を見た時、驚くとともに嬉しかったです。授業のない時、いつも図書館で本を読んでいます。本のおかげでとても助かりました。
 それから、教師にとって、日本語の本を読むことも、教育の方面にて自分の勉強にもなりますし、日本についてのことも一層理解しえると思います。
 後は、わが校の図書館は建設中にあたりまして、協会からいただいた本は、とても役に立ちました。

黒龍江学院日本語学部 尹雪蓮

黒龍江学院日本語学部 尹雪蓮

 わが校がたくさんの本をお贈りくださり、本当にありがとうございました。読書に興味を持っている私にとって、外国語の閲覧室は私が暇な時、もっとも行きたいところです。この知識の海洋の中で、いろいろ勉強することができて、自分の視野も広がっていくようになりました。
 図書館の本は種類が非常に多くて、いろいろな方面から、日本のことを理解することができます。たとえば、日本の経済、歴史、文化、飲食、教育、アニメーションなどおよび日常生活のこまかいものです。自分が借りたい本がこの閲覧室でほとんどさがすことができると言っても言い過ぎません。
 最初は日本語の本を読んだ時、とても難しいと思いました。これは自分の日本語が上手ではなかったからです。辞書でわからない単語を調べながら、読みました。勉強すればするほど自分の日本語が上手になって、とても嬉しかったです。本を読んでいるうちに、たくさんの知識をマスターできます。
 読書がとてもいい習慣だと思います。私は閲覧室の雰囲気がとても好きで、こんなすばらしい環境を提供する学校とたくさんの本をくださったご協会に感謝の意を表します。これから、自分がもっと頑張って、一生懸命に勉強しなくてはいけません。

遼寧師範大学日本語学科 学科長 李韡

図書室に春が来た

 大連は住みやすいところだとよく言われているが、なんといっても、やはり東北地方なので、冬は寒い。三月の中旬まではけっこう寒かった。それがこの二三日急に暖かくなった。今日図書館へ行ったが、図書館の前には黄梅の花、桃の花、白もくれんの花といろいろな花が満開になっていた。実に「百花斉放」の春の風情だった。自然は正直なもので、春は約束通りにやってきたのだ。いい気分で図書館に入り、新しくできた日本語の図書室に行った。入ってみたらとても綺麗で明るく、広い部屋が目の前に現れた。ずらりと並んでいる本棚にはたくさんの本が並べてあった。ざっと見回したら、言語•文学•経済•歴史•地理•医学•教育•美術、そして理工系に関する本など、これまた「百花斉放」であった。今まで本学の図書館に日本語の資料はあったが、ほとんどが言語•文学についてのもので、その量も限られていた。こんなに広い部屋に、こんなにたくさんの日本語の資料が並んだのは初めてだと思う。日本語の教師として、実に嬉しく思った。贅沢なほどだった。同じ日本語学科の若手の範先生や院生•学生たちが本を読んだり、資料を調べたりして早速利用していた。本棚と本には「日本科学協会贈呈」と書いてあった。この一冊一冊の本のなかに日本人民の情誼と期待がこもっていると感じられた。これらからより多くの教師と学生がこの図書室を利用し、日本人民のご期待に応えてほしいと思った。
 美しい春があれば、必ず素晴らしい収穫の秋があるはずである。この日本語の図書室はこれから本学の日本語の授業及び日本に関する研究にますます大きな役割を果たすものと信じている。

遼寧対外経貿学院 日本語学部2年 学生

 私は図書館が好きです。図書館の中にあるいろいろな本が好きです。特に、貴協会から送られたさまざまな本が大好きです。授業後、よく図書館へ行きます。日本語の本を読むことは私の趣味です。私たちの学校では、歴史の短い学校なので、図書館に貯蔵する本も限りのあるものです。しかし、貴協会のおかげで、日本語の本は量で迅速に増えてきました。質でもものすごく素晴らしいです。先生も学生もこちらの本が大好きです。本を読んでから、知識を豊かにしたり、レベルをアップしたりするような感じがします。本当に気持ちがいいです。毎日毎日充実に過ごしました。

遼寧対外経貿学院 日本語教師

 寄贈してくださった書籍を読んで、大変いい勉強になりました。どうもありがとうございます。私は人類の魂の技師と言われる教師という仕事に熱中します。一方で、自分の中味を充実できた本をものすごく熱愛します。長い間貴協会のおかげで、寄贈してくださったオリジナルの日本語の書籍を読んで、得たものがたくさんあります。寄贈してくださったこれらの書籍は内容が豊富で、あらゆるものを網羅しています。例えば、科学、地理、歴史、言語などなどいろいろあります。これらの書籍を読んで、まるで自分は知識の海で泳いでいるようです。ご飯さえ忘れた時もときどきあります。
 弊学校はもともとオリジナル日本語の書籍がほとんどないほど少なかったですが、貴協会のおかげで、日本語方面の書籍はどんどん豊富になりました。これは弊学校の日本語を勉強する先生と学生にとってはうれしいことで、無上の光栄です。私は「続日本列島地図の旅」という本に興味があるので、何回何回繰り返して読みました。その中に言葉の紹介のほか、きれいなイラストも入っていて、吟味する値打ちのある本だと思います。

貴州大学 日本語学部4年 王梅芳

 私は、今学校の日本語文献館で見習っています。さまざまな書籍を読むことができて心より感謝しております。
 確かに、わが学校が貴方にもらった図書が量も種類も多いので、私たちにとって大変便利なことと思います。これまで、わが図書館で日本語の図書が少ないので,学生たちが資料を調べたい時ほとんどインターネットを利用します。しかし、インターネットはなかなか不便で、それに学生たちはインターネットを完全に依頼し、自分が手も考えもかからなかったです。それに反して、日本文献館を成立させられて以来、学生たちは次々に文献館に来て、自分が需要の図書を借ります。図書に参考しながら自分の考えを加え、いい感じな文章ができ、これは学習のいい方法の一つじゃないですが。
 もう一つは、日本文献館の成立は日本語学部の学生にとって以前より時間をもっと有効的に利用できると思います。自分の図書館があるので、休暇の暇文献館に行き、いい図書を探します。その結果、欲しかった本も見つけし、楽な時間も送ることです。それで、いつも文献館に大勢の学生の姿をみえます。
 日本語学部のではなく、ほかの学部の学生も文献館を利用します。たとえば、第二外語が日本語の学生や日本語に興味を持っている学生など。この文献館は
 この学生たちにもいいチャンスを提供してくれました。
 恥ずかしいですが、機会があればもっと新た図書をもらえば完璧だと思います。

貴州大学 日本語学部 周玲

 日本語を勉強してからもう二年余りですけど、日常生活では日本文化に触れる機会が多いとは言えないです。日本人と会話する時,私は日本についての知識がこんなに乏しいのかと感じたこともあります。ほんとうに恥ずかしいです。
 日本財団の先生方のおかげで。助かりました。提供していただきました図書は多くの分野に及んでいます。日本の社会現状とか、経済上の論議とか、文学の作品とか、新しい科学技術など知りたいことがいっぱいあっても、日本語書庫は私の要求を全部満してくださるのです。

貴州大学 日本語学部 宋江宏

「日本の高校教育」を読んで感じたこと

貴州大学 日本語学部 宋江宏

 私は「日本の高校教育」という本を読んで、いろいろなことを感じました。教育は国の基盤です。特に、自然不足の日本にとって、教育は経済発展のための欠かないものです。近年、生徒たちは一流の会社に入るために、一人前になるために、名門大学の出身でなければなりません。社会は段々学歴社会になりました。小学生から高校生まで全部「受験地獄」に巻き込まれました。そして、教育の本質は、いよいよ失われてきました。私の卒業論文は日本の高校生の日常生活に関することです。この本を通じて、日本の高校生の日常生活を了解するのも不可欠で肝心だと思います。このように役に立つ本を贈ってくださり、ありがとうございました。大変な古い本を手に入れると、読む気持ちは少なく影響を受けます。ですから、私は心よりもっと、多くの新しい本を私たちの学校に送っていただきますように、お願い申し上げます。

貴州大学 日本語学部 潘启杭

 今回私が見習いの一人として一度の意味深い体験でした。図書の中に私たちの日常生活に関するいろいろの本があって、見習いの最中にみんなが話しながら、自分が興味を持つ本を読んでいるうちに知識の問口が広くなりました。これはむろん空しい卒業生活にとって、一つの精神的な糧だと言ってもよかろか。
 高校三年の時、私が日本文化に興味を持ち始めました。ところが、日本語を勉強する条件に欠けるというより、むしろ、まったく、日本語を勉強しようとする何からの本とか、映画とか、なんもととのっておりませんでした。そして、わたしは日本文化に触れたければ、まず、一つの仲介を必要としなければなりません。それが日本語になりません、もちろん、日本文化を徹底的に探るには日本語を勉強するだけにとどまらず。重要なのは話せると、使いこなすことです。
 貴州大学にこんなに数多くの日本語の蔵書を贈送していただいて、私たちは日本文化とか日本の現実社会を全面的に知ることが可能になりました。

貴州大学 日本語学部4年 牟洪娟

貴州大学 日本語学部4年 牟洪娟

 私は大学の図書館で見習して、日本からの本を整理しています。たくさんの本を見ると、ただ日本の皆様にありがとうございますと言う言葉が私の気持ちを表しています。
 貴州大学は専門的な日本書書庫を設立しました。そこで日本について、中国について、また世界についての各方面の本を見ました。本からの知恵が、私を育てます。
 私は歴史の本に興味を持っています。これまでわが図書館では中日の歴史と日本の歴史についての本は少なかったのですが、協会のおかけで今この種類の本は図書館で探せます。現在、中日と日本についての固有名詞とか、有名な歴史事件とか、大体日本語で話せます。その上、歴史を深く理解できます。日本を理解することだけでなく、日本語を勉強することにも役に立っています。

貴州大学 日本語学部4年 張晴

この論文のサポートのおかげで

貴州大学 日本語学部4年 張晴

 歳月速いもので私は四年生です。私は幸運に恵まれて1年間日本語文献館で実習します。実習しながら、卒業論文を書いています。日本科学協会が寄付する大量の図書のお陰で順調に論文を完成することができます。私は文学、特に他国の文学が好きで、寄付する図書の中では日本文学書を読みます。これらの本の中でも森鴎外や井上靖などの作品が最も好きです。今回の論文は森鴎外についてなので、大量に森鴎外の本を読み、日本に対する認識を深めました。私はよく偉大な作家の文章を読んで、その中から私の世界に対する認識水準を高めています。書籍は人類の精神の糧で、書籍は人類が愚かで無知から抜け出すツールです。日本科学協会の寄付する書籍は、私達のためにもっと高いプラットフォームを提供し、更に広大な空間を知らせてくれます。

貴州大学 日本語学部4年 鄭棟

日本語学習の励みとなる日本からの蔵書

 わたしは問もなく貴州大学日本語科から卒業します。今、図書館の日本語書庫で本の分類をします、ここで、私はたくさんの日本語の本を見ます、後1カ月間卒業するので、この本を読む時間が少なくなってなつかしいとおもいます。だから、この見習の機会を盗すんで、日本語の勉強を一生懸命にがんばります。
 この本は日本の方々からいただいたのです。本当にいい本なので、私が日本語を勉強したり、日本文化を習ったりする上で多いに助けとなります。本当にありがとうございます。この本は私の勉強励みとなります。さらに私は日本へ行って日本の学校で勉強したいと思っています。将来、中日友好のために仕事をしようと考えています。

貴州大学 日本語学部4年 銭金辰

 最近、図書館で図書を整えていました。とてもびっくりしました。四年前、大学に入っていたころには日本語の図書室が未だないと思いました。大学の日本語の図書が少ないと思いました。ですが、たった四年間でこんなに多くの図書になっていましたが、すごく驚きました。これは、日本の皆様のおかげです。今の貴州大学は、日本語の図書が例えば雲南大学にも負けないのでしょう。貴州大学では、英語の図書や、ほかの外国語の図書よりもやはり日本語の図書が一番多いでしょう。また、私たちのような四年生には、いろいろな便利でほんとに助かったと考えています。四年生の学生ではなく、他の学生ももちろん日本語科の学生でなくても、貴州大学の日本語が上手とは言えないすべての学生が、この日本語の図書室で多くのことを勉強したのです。
 この日本語の図書室が様々な図書があります。文学といわず、経済といわず、日本に普通の人々が読める本がこの図書室にあるそうです。特に四年生のみんなは卒業論文を書いていますし、これらの日本語の資料が日本からのその中に選んでほんとに十分だと思います。それに日本に留学するための学生もこの図書室を利用し、「志望動機、履歴書,自己PRの書き方」という研究方向書を書いています。

貴州大学 日本語学部4年 韋奇峰

私を助けてくれる日本語書庫

 私は日本語専門の四年生です。今、図書館で実習しています、ここで、たくさんの日本語の本を見ます。私は日本語を勉強してからもう三年余りですけど、日本についての知識がこんなに乏しいのかと感じたこともあります。ほんとに恥かしいです。こうした時間に、日本の風俗、日本人の習慣も良くわかります。更に日本の文化も少しわかっています。今でも、日本の文学が好きです。この本は日本からいただいたということです。ほんとうにたいへんな本で、私が日本語を勉強したり、日本文化を習ったりするうえで大いに助けとなります。本当にありがとうございます。将来、中日友好のために仕事をしようと考えています。

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