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日本知識大会

笹川杯全国大学日本知識大会2018

開催概要

開催日:
2018年11月17日、18日
大会レベル:
全国
開催大学:
北京大学
参加人数:
327名(109大学)
主催:
日本科学協会、北京大学
特別協賛:
日本財団
協賛:
全日本空輸株式会社(ANA)、人民中国雑誌社
後援:
中国教育部高校外語専業教学指導委員会日語分会、中国国際放送局(CRI)日本語部、中国青年報社、中国高校傳媒聯盟、中国高校国際交流社団聯誼会

受賞結果


団体戦:
特等賞  対外経済貿易大学
一等賞  北京大学、天津科技大学
二等賞  東北師範大学、武漢大学、華東政法大学、山西大同大学、蘇州科技大学
個人戦:
特等賞  邱碩(北京大学)
一等賞  陳鑫(黒龍江大学)、于洋(華東師範大学)
二等賞  周姍姍(天津外国語大学) 、李春洋(東北財経大学) 、何佳佳(福建師範大学)
賞の種類:
団体 特等賞 1校、一等賞 2校、二等賞 5校、優秀団体賞
個人 特等賞 1名、一等賞 2名、二等賞 3名、三等賞 2名、優秀個人賞
杰出指導教師賞、優秀指導教師賞

参加大学

  • [北京市]
    中央財経大学
    北京大学
    対外経済貿易大学
    中国人民大学
    北京理工大学
    北京語言大学
    首都師範大学
    北方工業大学

    [天津市]
    天津科技大学
    天津財経大学
    天津商業大学宝德学院
    天津外国語大学

    [上海市]
    上海海事大学
    上海建橋学院
    上海交通大学
    上海電力大学
    上海杉達学院
    上海師範大学
    上海外国語大学
    上海外国語大学賢達経済人文学院
    華東理工大学
    華東師範大学
    華東政法大学
    東華大学

    [甘粛省]
    西北師範大学

    [河北省]
    河北師範大学匯華学院
    東北大学秦皇島分校
    石家庄学院

    [山西省]
    山西大同大学
  • [遼寧省]
    東北大学
    東北財経大学
    大連大学
    大連理工大学
    大連外国语大学
    瀋陽工業大学
    瀋陽師範大学

    [吉林省]
    吉林大学
    東北電力大学
    東北師範大学
    吉林化工学院
    吉林華橋外国語学院
    吉林師範大学
    吉林師範大学博達学院
    北華大学
    長春科技学院

    [黒龍江省]
    黒龍江大学
    東北林業大学

    [江蘇省]
    南京大学
    東南大学
    南京大学金陵学院
    南京工業大学
    南京航空航天大学
    南京信息工程大学
    南京郵電大学
    蘇州大学
    蘇州科技大学
    蘇州科技大学天平学院
    三江学院
  • [浙江省]
    浙江越秀外国語学院

    [安徽省]
    安徽大学
    安徽工程大学
    安徽三联学院
    安徽師範大学
    安徽師範大学皖江学院
    安徽新華学院
    合肥学院

    [福建省]
    福建師範大学福清分校
    福建師範大学
    廈門大学
    閩南師範大学

    [江西省]
    南昌大学

    [山東省]
    山東大学
    魯東大学
    聊城大学
    山東農業大学
    青島農業大学
    山東大学(威海)

    [河南省]
    河南大学
    河南科技大学
    河南理工大学
    黄河科技学院
    洛陽師範大学
    河南大学民生学院
    南陽師範学院
    信息工程大学
    信陽師範学院
    鄭州升達経貿管理学院
  • [湖北省]
    武漢大学
    武漢理工大学
    華中師範大学
    黄岡師範学院
    湖北師範大学
    中南財経政法大学

    [湖南省]
    湖南大学

    [広東省]
    深圳大学
    広東海洋大学
    吉林大学珠海学院

    [海南省]
    海南大学

    [四川省]
    西南民族大学
    楽山師範学院
    電子科技大学
    四川理工学院
    四川師範大学

    [陕西省]
    西安交通大学城市学院

    [内蒙古]
    内蒙古民族大学

    [重庆]
    四川外国語大学
    重慶三峡学院
    重慶師範大学

    [貴州]
    貴陽師範学院

参加者の声

笹川杯 -夢の力-

大連外国語大学大学院1年 汪逸晨

[0606大連外国語大学 汪] (訳文)クイズ大会の組織委員会から大会参加の感想を求められたのですが、個人的に笹川杯と自分のエピソードを書きたいと思います。

初めて「笹川杯」に接したのは2008年の9月か10月で、大学に入って間もない頃でした。「笹川杯」は当時まだ全国規模で開催されていませんでしたが、私の大学は幸運にも東北ブロック第1回大会の開催地だったのです。当時まだ大学1年になったばかりの私は、日本語はさっぱり分かりませんでしたが、それでも現場で決勝戦を見ました。結局、たかが新入生には大会のテーマもほとんど分からなかったのですが、それでも興味が湧いたことは覚えています。本当に面白くて、まるで昔あった李詠の番組「幸運52」みたいだと感じたのです。

時が経つのは早いもので、私が再び「笹川杯」に触れたのはもう2011年4月のことでした。ある日キャンパスで「笹川杯」学習チームのメンバー募集ポスターを見かけたのです。募集対象は1年生と2年生。しかしその時、自分はもう3年次後期でした。それまでだったら、性格上、こうした大会イベントなどには先生に言われでもしない限り、何かと理由を見つけては出ないことにしていました。例えば「募集対象は1年生と2年生だけだから、3年次後期の学生なんてお呼びでないな」とか、「今は大学院の受験を控えているから、気を散らすわけにいかない」とかいう感じで、探せばいくらでもそんな理由はありました。しかし今回は本当に違ったのです。私はそのポスターを見て以来、何日も「笹川杯」のことだけで頭がいっぱいでした。「この大会は是非とも参加したい、出なくては」とばかり考えていたのです。この20年あまり、ここまで強烈に参加したいと思ったことなんて初めての大事件でした。

チームに入るには、略歴を提出して面接試験を受けなければなりません。学生会に略歴を提出するとき、3年生だからと断られかけました。ついに迎えた面接試験の日。水曜日の午後で、面接試験は順調に進み、結果は金曜日に発表すると聞いたのをはっきりと覚えています。しかし金曜日に面接試験の発表を見たとき、泣いてしまいました。合格者名簿に私の名前がなかったのです。面接試験の責任者だったチームリーダーから夜9時過ぎに電話をもらいました。名簿に掲載されなかったのは、募集対象が原則として1年生と2年生だけだから3年生の名前は出せなかったのことでした。しかし学長は、本当にみんなと一緒に知識を学びたいと言うならチームに傍聴生として参加してもいいだろうと言ってくれたのです。こうして、傍聴生としてですが、1年生と2年生の後輩達に交じってチームに参加しました。

それから水曜日の晩ごとに、学習チームは日本と関係する様々な知識を学びました。回りは私より若い後輩達でしたが、私は少しも気後れしませんでした。本来、学びに年齢は関係ありません。いつから学び始めても、学ばないよりよいのです。

2011年6月、4年次に昇級する夏休み前に、先生とリーダーから、次の学期に「笹川杯」大会があると知らされました。学習チームが他大学も若手であることと、私が真面目に学習し続けていることから、大会参加の準備をさせてもらえることになったのです。まさに望外の喜びでした。ずっと傍聴生として学んできたので、まさか代表として大会に参加できるとは思っていなかったのです。

その後の夏休みと2011年の10月連休は、ずっと真剣に勉強して大会に備えました。しかし残念ながら、南京大学での大会に行った時は発揮しきれず、興ざめしてしまいました。しかし、その時には内部進学考査の結果が出ており、この大学で3年間学び続けることが決まっていたので、がっかりするなと自分に言い聞かせました。また代表になって「笹川杯」に参加する機会はあるのです。

そのため「笹川杯」はそれから1年半の間、冬休み、春休み、5月と10月の大連休の全部について回りました。今年5月に中国人民大学での「笹川杯」日本知識クイズ大会に出るまでずっと続いたのです。大学は実家から離れていましたが、夏休みと冬休みは毎年たくさんの本を抱えて帰省し、ゴールデンウイークにも旅行に出かけず、ずっと学内で勉強して大会に備えました。

もちろん、大会にかけた努力や準備を表沙汰にすることは全くなく、「今回はそんなに勉強してこなかったな、真面目に対策してもいないし」などと話すこともできました。そうすると、まるで賢いから勉強しなくても楽に好成績を収めて楽々と日本旅行に行けるみたいでしょう。ですが、そうしようとは思いませんでした。そんなことをお話ししたいわけではありません。

お話ししたいのは、努力や投資あってこその収穫だということです。自分が満足できる結果を得るには努力するしかありません。「笹川杯」の道を歩んできたこの数年は、一歩ずつ、紆余曲折を経て、大きくも小さくもない夢を完成させてきた時間でもあります。「笹川杯」は、夢が遥か手の届かないものではないと、夢を信じる力をくれました。決意して物事に向かえば、世界が道を開いてくれることも信じています。

最後に、大会参加を支えてくれた家族に感謝したいと思います。と言うのは、参加ばかりを考えていて大学院入試の準備を放棄していても、責めないでくれたからです。育ててくださった先生方にも感謝します。在学中は日本語という言語だけでなく、多くの日本文化を理解することもできました。私を信頼して大会に参加する機会をくださったことにも感謝しています。また、手助けしてくれたチームリーダー2名にも、親切に回答を後押ししてくれた日本の友達や同窓のみんなにも、みんなみんな感謝しています。最後に、こうした大会の機会を下さった日本科学教会にも感謝します。とてもとても多くのことを学び、とてもとても成長することができました。本当にありがとうございました!

団体戦の勇者たちへ

対外経済貿易大学外籍講師 寺田昌代

初出場は“背水の陣”
「笹川杯って作文ですか?スピーチですか?」
笹川杯全国大学日本知識大会の存在を知らなかった私は全く素っ頓狂な質問をしたものです。2018年6月、北京大学で笹川杯が開催されるにあたり指導をしてみないかと同僚の先生に言われました。知識大会の概要を聞き、ネットで過去の大会を検索。2016年の記事に過去問をみつけ見てみるとその問題の難しさと範囲の広さに度肝を抜かれ、「ウルトラクイズかっ!」と思わずパソコン画面に向かってツッコミを入れていました。と、同時に、この催しが中国各地で毎年開かれている事から、「待てよ。今回は北京だから出場できるのかな?」と“大人の事情”に気づきました。出場するには費用がかかります。北京市内の大学であれば交通費を気にすることなく、参加費のみの申請で出場できるわけです。しかし、逆に言えば、翌年は必ず北京以外の都市で開催されるわけで、この大会である程度の結果を出さなければ、おそらく次はないだろうと勝手な想像を巡らしました。私たちUIBEチームには「初めての経験だから仕方ないよね」という結果は許されないような気がしました。北京での開催、このチャンスを生かさなければ後がない。プレッシャーが一つの原動力になったことは間違いありません。

苦肉の策
概要を理解したとはいえ、大会を一度も見たことのない私たちはどのような“訓練”をすれば良いのか見当もつきません。ただ、一つだけ私にわかっていたことは「クイズの問題は中国人が作る」ということです。スピーチコンテストの即興問題や、質疑応答の練習の経験から、いくら予測をしても私が考える視点と中国人の先生が考える内容には必ずズレがあることは想像に難くありませんでした。そこで、選手に一方的に出題するのではなく、選手自身に問題を考えさせるという方法を取りました。私が考えるよりも出題者の視点に近いのではないかと思ったからです。3人の選手に出題範囲を割り振り、担当分野の問題を期日までに作成してもらい、日本語の修正と解答のチェックをしたうえで、私が作った問題を加え配布することにしました。こうして夏休みから私たちの“特訓”が始まったのです。

思わず“遠い目”になった夏休み
月に一度とはいえ、問題作りには頭を抱えました。一番の問題は「大会のクイズには日本語に関する問題が少ない」ということです。私の専門は言語学です。日本語に関することならいくらでも出題できますが、そこから離れるとなると素人同然。中国人の先生の方が、よほど深い知識を持っていらっしゃるはずです。ことあるごとに「これは問題になるのではないか」と気になる話題のメモを取り、テレビ番組を見ていても頭の中は“ネタの収集”でいっぱいです。選手の3人も大変だったことでしょう。授業で学習しない領域を自分で調べ、更に4つの選択肢も考えるのです。いくらネットで検索できる時代とは言っても、中国からでは限界がありますし、何より日本語で問題を書かなければなりません。学生が作る問題と私の追加分を合わせると1回の問題数は300問近くになります。それをまとめるのも予想以上に大変な作業でした。問題を配信後24時間以内に返信してもらい、それらを採点。しかし、正答率は高いとは言えず、こんなやり方で結果を出せるのだろうか、無駄な努力ではないのかと途方に暮れた夏休みでした。雲をつかむような話とはまさにこのこと。それでも、私たちはゴールの見えない暗闇の中を手探りで進んでいくしかありませんでした。

一人は三人のために三人は一人のために
「指導の先生」と名前は付いていますが、私にできるのは応援することだけでした。学問の神様である湯島天神にお参りして3人にお守りを持っていきました。道真公のご加護があったのかもしれませんが、初出場で優勝できたのはやはり選手の努力の賜物です。5か月間で、3人は延べ2000問に及ぶ問題を解き続けました。よく途中で挫折しなかったと褒めてあげたいです。どのような出題傾向なのか分析もままならず、闇雲に作成したため実際に出題されなかった問題もたくさんありました。むしろその方が多かったはずです。なんと効率の悪い練習方法だったことか。それでも3人は常に笑顔で臨みました。笹川杯の問題は範囲が広く難問ばかりです。効率の良い勉強方法や必勝法があるのなら私も知りたい。でも、今回の経験を通して一つだけわかったことがあります。もし必勝法があるとすれば、それはきっとチームワークです。3人の選手はそれぞれの担当分野を必死に勉強しました。多くの無駄を強いてしまいましたが、決して無意味ではなかったと思います。知識を補い合い、励まし合い、個性を生かして優勝をつかみ取ったのです。

大会前日、学校を出発するとき、私たちは「伝説を作るぞー」と笑いながら北京大学に向かいました。これから、多くの大学で「伝説の勇者」が誕生することを心から祈っています。

合肥学院 日本語教師 王重斌

中日友好、川の流れのように、永遠に続く

合肥学院 日本語教師 王重斌

時間が12年前の夏休みの始まりに戻った。

「王さん、笹川杯日本知識大会に参加したいか?」と先生からの電話をもらった。「あの知識大会か、私が大学4年生の時参加できなかったあの知識大会か。その時の参加者が私のクラスメート3人で、最後に団体一等賞をもらったので、日本科学協会の招きによって、日本を8日間遊学できたのだ。」頭の中で思い出しながら、「私、参加したいです。先生このチャンスをくださって、本当にありがとうございました。」と返事をした。「そうか、よかった。今回は本校ではなく、浙江の大学で行われるよ。よく頑張ってね。」

そのあとの三か月、食事する時までも日本に関する本を読んでいた。日本の歴史、文学、芸術などの知識を吸収しながら、日本という国への理解も深まっていた。その中で、関心のある内容を修士論文のテーマにもした。いよいよ大会の日が来た。幸運に恵まれて、激しい競争の中で、最後に一等賞をもらった。チームの3人が涙が出るほどうれしかった。あの輝かしい優勝カップを捧げた時、夢みたいなと感じていた。

冬休み、私は日本財団、日本科学協会の招きによって、日本を8日間遊学できたのだ。楽しい旅だった。たくさんの人と出会い、日本人の旧友に会え、日本の名勝地を観光し、充実した8日間だった。中国に帰る前夜、訪日団のメンバーが一つの部屋に集まって、いろいろ話し合い、「川流会」を作ろうと決意した。それは「中日の友好が川の流れのように止まることなく、永遠に続く」という意味を含んでいた。確かに十数年も経ったが、いろいろはっきり覚えている。もう人生の宝物になったのだ。

大学院卒業した私は故郷の大学で日本語を教えるようになった。学生に「知日派」になってほしいから、日本語を通して、日本への理解を深めてもらった。

2013年、私は優秀な学生を3人引率して、中国人民大学での笹川杯全国大学日本知識大会に参加した。そして、毎年、本校で日本言語文化大会を行われ、最も優れる学生を選んで、日本語界の盛会に参加している。2018年の知識大会で、本校の学生1人が個人戦で全国トップ7に進めた。今まで知識大会に参加した十数人の学生もう卒業し、それぞれ活躍している。学生の成長が教師にとって一番の喜びだろう。知識大会の参加経験は日本語学習者にとって光栄と言えよう。

ちなみに、2013年知識大会の時、全員写真を撮る途中、私は日本科学協会の顧先生に一度声をかけた。思いがけないことに、顧先生はまだ私のことを覚えている。そして、名刺交換をした。その翌年の6月、ある日顧先生からの電話をもらった。本を贈るといういい知らせだった。本校は安徽省の唯一の贈書相手となった。2万冊余りの日本語原版の本は日本語教師の研究と学生の勉強に大いに役立っている。恵みの雨のように、私たちに豊富な知識栄養を与えてくれる。

中日友好というものは口にするものではなく、実際に行動しなければならない。日本科学協会のみなさんの努力で、中日両国の間に理解の橋がかけられている。日本語を勉強している学生のみなさん、担わっている責任が重いよ。日本人に中国のことを伝え、中国人に日本のことを伝え、相互理解を深め、友好の花はきっときれいに咲いていくだろう。

東北財経大学 日本語教師 蒋雲闘

東北財政経済大学の日本語が春の長春に花開く

東北財経大学 蒋雲闘

大会を終えて二ヶ月になるが、大会準備中のあれこれには、今でも私の心を動かしてやまない感動的なものがある。

忘れられない教師の日……
2010年9月10日、その年の教師の日は私が大学の教壇に立って二度目だった。学院から通知を受け、経験もない若輩者の私が、金奉源、朴光、安太紅の学生3人と2010年「笹川杯日本知識クイズ大会」の東北地域大会の準備をすることになったのだ。2010年の教師の日は長い道のりの始まった日でもあるのだ。

若きチーム
「笹川杯日本知識クイズ大会」は、日本語専攻の学生には馴染み深い大会である。今のところ中国国内で最も大規模かつ権威ある日本知識クイズ大会なのだ。「笹川杯日本知識クイズ大会」は東北地域でも何度か開催されているが、本学が参加するのはまだ今回で二度目。今回大会の相手は吉林大学、黒龍江大学、大連外国語学院などの東北名門校チームだった。これら名門校は日本語専攻の実力も優れ、また「笹川杯」の常連でもある。数々の参加経験やデータも持っている彼らには、大会の準備も経験済みなのだ。しかし、我々は違う。本学は財政経済大学であるため、日本語が専門の学生達もビジネス日本語重視のカリキュラムであり、大学四年間で必修科目となっているのは文学のみで、しかも週に1コマだけである。文化は選択科目で、日本史に至っては課程の開設すらされていない。ゆえに若き我がチームにとっては大会のルールから内容まで何もかもが新しく、全ての準備が初めから少しずつ進めねばならないものだった。

ある冬の約束
私がまだ若く経験も足りないため、作戦段階では丁寧にまじめに取り組むのが精一杯だった。大会準備中、資料の正確性を担保するために「百度」や「ヤフー」で検索するだけでは少しも追いつかない。我々は「最も信頼できて正確なのは、やはり書籍の情報」を原則とした。チームメイト3人はそれぞれ何冊か本を持っていたが、ほとんど日本語版だった。各書の内容は各メンバーが暗唱できるほど読み込んだ。よく冗談で、情報収集「ローラー作戦」だなどと言い合っていた。目を通したらメンバーが要点をまとめてパソコンに打ち込み、プリントアウトしてファイリングし全員で繰り返し読み、難点や重点をみんなで分析。そうした努力を経て空っぽだったフォルダが資料でぱんぱんになり、感慨に近いものを覚えた。中身はどのページもびっしり文字で埋まり、色々な色や書体で注釈がつけられていった。日本各地の手描き地図もたくさん盛り込まれている。全て文化面を担当した安太紅君の傑作で、一枚一枚に心がこもっており、不眠の努力が伺われる。

全員が新人ではあるが、我がチームの目標は敢えて「できれば一位獲得、少なくとも二位は確保」に設定した。自身にプレッシャーをかけ、活を入れるためである。大会準備中、メンバー3人とも4年生になった。みんなが準備をしつつ就職活動もしており、苦労のほどは言うまでもない。インターンの研修中も、日中は勤務し、夜に帰宅するとすぐ復習や暗記を始めた。時間を作っては勤務先でもそこで学んだ物事を復習した。その間、資料を「かじりながら」眠りに落ちた夜がいくつあったことか。朴光君のひと言がみんなの気持ちを表している。「一番いやだったのは、勤務先の研修資料と僕たちの復習で進捗に衝突が出た時です。でも幸いなんとかなりました。あの日々が大学4年間で最も充実した時間だったと感じています。生涯の思い出になるでしょう。苦痛も楽しみもありました。まだ今は楽な生活に備えて苦労をしつくす段階でしょう。」

去年9月に大会の通知を受けてから、毎朝6:40-7:30は勧学楼の前で読み合わせをするのが4人の固い約束となった。約束はやや涼しい初秋から寒い冬にかけて続いた。朝の読み合わせは確かに疲れたが、国際商務外語学院の学友が得るところは多かった。特にメンバーの3人は4年生であり、1年生や2年生の後輩達と一緒に読み合わせをするのは当初ばつが悪かったようだ。しっかりと継続することは更に大変なことである。毎朝の読み合わせ以外にも、毎週木曜の夜には決まってみんなが集まった。場所は私の研究室である。机を囲んで座ると、一週間の資料整理の成果をまとめた。メモを回覧して、難点、重点を共有し、時には互いに試問して、記憶を深めあった。本学の日本語図書資料が少ないため、「日本の一番」を確認しに大連外大図書館、大連市図書館、大連領事館の図書センターなどに何度か足を運んだ。正しい答えを確認するために真っ赤になりながら言い争ったことも、要点を探ろうとしてどうにもならないほど議論したり、大会準備のため徹夜して風邪を引いたことも何度もあった。あの忙しくて暖かい夜の数々は、今でもありありと目に浮かぶ。

好事魔多しということなのか、一同があまりに長い試練を経験した。当初予定では11月に開催されるはずだった大会が、当該期間中の日中関係緊張によって12月に延期され、後日また無期限延長となってしまったのだ。当時は一同、期待し、やきもきして、思い悩んだが、放棄するつもりはなかった。私は特に責任を感じていた。3人はみんな分かってくれていて、文句を言ってきたりしなかったのだが。大会がキャンセルになったり、実際の開催時にみんなが卒業間近となってしまっていたら、3人に申し訳が立たない。あれだけ多くの犠牲を払い、長く努力してきたのに。

輝ける開花
春の神が到来して万物に生命力をもたらしてくれたおかげか、大会にも転機が訪れた。桜が花盛りの季節、我々一行4人は遂に長春への列車に乗った。精一杯に準備して、積み重ねてきた闘志を胸に。

大会は全てが緊張し激しいものだった。

大会日程の1日目は第1回戦で、すぐ翌日に決勝戦。しかし長春、大連の温度差が大きく、また連続2日間の緊張の波も加わって、朴光君はひどい風邪を患ってしまった。声も変わり、鼻水が止まらない有様。安太紅君と金奉源君も気候風土になじまず体調不良を催した。それでも決勝戦の前には夜を徹して復習した。決勝戦の当日、彼らが出場している時、回答のたびにスコアボールドが変わるのを見て私も緊張し興奮した。スコアが230点に留まり、戦績がすでに動かぬところとなった時。最初に吉報を知ったのは観覧席にいた私だった。その時は一瞬我を忘れ、少し的外れのような行動をとってしまった。卒業したての新人教官である私が、優勝者を迎える準備などちゃんとできるはずもなく、Vサインを作って舞台上の3人に振り続け、自分たちが優勝だと伝えたのだった。後でみんなにはそのサインでは誤解すると言われた。その時は2位だと思ったのだそうだ。今ならこうした笑い話をするのも気楽なものだが、当時は選手3人が下りてきた時4人ですぐ固まって抱き合い大泣きした。続いて「田舎の年寄り」に優勝報告の電話をかけたとき、電話に出た彼の開口一番が「チャンピオン!チャンピオン!私達がチャンピオン、東北で一番だ!子供たちはまた熱を出して、こっちはまた雨が降り出したけど…」この栄誉の背後で、我々が如何に一歩一歩進んできたのか、寒い明け方や暗い夜に集まり、如何に信頼を蓄積していったのか、何人の人がこうしたことを知っているのだろうか。世界には奇跡など起こらない。あるのは、ひとつ耕すことにより得られるひとつの収穫だけである。結果として「修行の成果」なのだ。努力して夢を追うことができるのは最も幸福なことだ。日本科学協会が夢を実現するこうした機会を与えてくれて、とても感謝している。

大きな収穫
学生達にとって、準備期間中の収穫として一定の知識はあったが、より重要なことはチームワークを身につけたことだ。第1回戦の後、私は学院長のショートメッセージに「毎朝の早起きを続け、厳寒に耐え、読み合わせをしてきたチームは強いのですよ」と返信した。毎朝あの寒い中、時間どおりに布団から這い出すのはとてもつらい。信念である。ゆえに、こうした試練によっても、彼らはこれから直面する課題に対してより落ち着いて対処できるようになっただろう。また、今回の優勝は、財経大学の日本語専攻で学び暮らす学生に対する肯定でもある。肯定を得られたと同時に、学生達は自信を得ることもできた。これからは「東北財経大に日本語なんかあるの?」と聞いてくる人達にも堂々と胸を張って向き合える。これら全て、日本科学協会がこうした独特な舞台を用意してくれたことに感謝しなければならない。この舞台は従来の弁論コンクールや型通りな作文大会と違い、学生の知識水準を全方向から見るものだ。日本語専攻の学生には方言が原因で発音に訛りの出る子もいるが、日本知識クイズ大会はそういう学生達にも開かれている。知識の深みと広がりをより重視する舞台であり、彼らに自分だけのものを持たせてくれる大会なのだ。

現在、我が東北財経大学の日本語専攻の学生は、日本の文化、文学、歴史などの課程に対する積極性が大いに向上している。こうした積極性はビジネス日本語知識を学ぶ積極性に引けを取らないもので、私のように文学や文化を担当する者にとっては非常に好ましい。大学機関誌『東財大学生』で我がチームが優勝したと伝えられたことにより、日本文化に興味を持つ多くの学生達が大会に参加できないかと問い合わせてきている。これも好ましい現象だ。まさに戴季陶先生が『日本論』の中で書いていたとおり。「中国というテーマは日本人も解剖台の上で何千何百回と解剖し、試験管に詰めて何千百何回検査をしている。ゆえに彼らは中国についてこのように明瞭な認識を持っているのだ。しかし、日本に対する中国人はただひたすら反対を排斥して、再び研究をする努力を認めない。日本という字さえ見たくない、日本語も聞きたくない、日本人は見たくないという。」 戴季陶先生のこの話は、中国人の盲目的に排斥する現象を何点かずばりと指摘している。どういう文化にせよ、今日まで存在するものには尊重し学ぶに値するところはあるものだ。これは私が教員として、ないし長年の外国文化学習者として学んだ実感である。またこれは毎学期「日本文化」課程の最初の講義で必ず学生に話していることでもある。忠告とも言えるものだろう。中日両国は、文化面において複雑で入り組んだつながりがある。上代はずっと中国文化が日本に影響してきたが、近現代は日本文化も中国へ影響を及ぼしている。例えば、中国の近現代の優れた思想家、文学家には日本へ留学した者が多い。国父である孫中山先生、文豪の魯迅先生も日本で学び暮らしてきた。若い世代の人間として、より客観的、理性的な態度でじっくりとこの世界を観察し、この世界にあるそれぞれの文化をよく考察し理解するべきである。勿論そこには我々の隣人であり、何世紀もの間、深い関わりを持つ日本を含む。最近、本屋や当当網で『日本論』、『菊と刀』、『武士道』という国際的に認められた優秀な日本学の著作がベストセラーであることに気づいた。これも、我が国の人、特に、若者の日本文化に対する理解、探求の心が益々深くなったことを表すものである。しかし、読書の過程で考えかたをマスターすれば、過激になることはない。

今秋の南京、始まりを待つばかり
大会終了からもう何ヶ月も経った。我々も、大会のことは言うまでもなく、大会前後の様々なことについても絶えず振り返り、秋の再戦に備えている。あの日々を回想すると、みんなの間で「信用」が互いを支えていたと感じる。最初に指導教官の私は学生達をとても信用していたため、必ずや「できれば一位獲得、少なくとも二位は確保」と話をしてきた。最大限に信用することが、知識を教えるほかにできる唯一のことだったのだ。彼らの私に対する信頼も励みになった。引率は初めてだったが、私が指摘した箇所については、みんなが無条件に全てを把握し、覚え込んでくれた。彼ら3人も非常に息が合っていた。各人の用意するプレートは異なるため、絶対にチームメイトを信じないとできない。もう一つの力は、日本語専攻の教員や学生からの信頼である。彼らはキャンパスのフォーラムの中でずっと我がチームを励まし、祝福してくれた。私は今でも「珍しい花が開花する」、「長春がんばれ」などの表現を覚えている。

現在は、次の「笹川杯」に向けた準備が始まっている。依然として私の小さな研究室のあの机あるが、今度は心血を注いだ前回の資料が増えた。また、「東財の日本語」に属する無形のものもある。実際、「笹川杯」での優勝は我々4人だけではなく、日本語専攻の全ての学生に強力な強心剤となった。この強心剤の効力をより長続きさせられるよう、我々はいっそう努力して今年の全国大会に備えていかねばならない。

今秋、南京で!東財の日本語が引き続き花開くことを約束しよう!

2011年7月15日 夜明けの大連にて

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